世の中を変えたいあなたへ 時代に向きあったある庶民の八〇年
出版社からのお知らせ
【推薦】
当事者として現場にいる人の生真面目な証言である。 鈴木さんは教条主義 言葉づかいをしない。の言葉で語る人である。 」とはっきり言う日本真剣いさぎよい。上で史料の価値が高い一冊だと思います。
内田 樹(神戸女学院大学名誉教授・凱風館館長)
愛称元さんは生きたいように生きる道を求めて、アクティブに正直に生きてきた友人です。元さんの半生の波乱を読むことはきっと心に響くものがあると確信します。
安齋育郎(立命館大学国際平和ミュージアム終身館長)
表紙 成瀬政博
【目次】
はじめに
序章 ファミリーヒストリー―私の生きざまに影響を与えた人々
一出会い
二 新しい旅立ち
一 徳島から大阪へ
二 徳蔵、中国・営口での築港工事
三徳蔵、瀋陽総領事館の書記官と鉄嶺で居留民団事務監督に
四徳蔵、東京での新たな挑戦と没落
五戦時下 鈴木家
第一章 ぱわんくな少年
一負けからの新しい暮らし二時代
父・νの新しい
三人生 鷹合の家と新しい暮らし
四 幼い日の思い出
五 米軍の存在と朝鮮戦争 そして「独立」
六ジェーン台風
七レッドパージ
八津風呂
九 (阿部の)「おじいさんのこと」
一〇 甲子園・宝塚・アイススケート・エロ話
一一 人生で唯一さまよかった中学時代
第二章 社会問題と登山に目覚めた東住吉高校時代
一 炎跡の町
二 ハガイー事件と樺美智子事件
三 喧嘩
四 『日本近代史』を学ぶ
五 登山と出合い
六 社研の活動から生徒会役員に
七残念への帰国運動
八 霧ヶ峰・当麻寺・槍ヶ岳
九 「構造改革論」
一〇 第二室戸台風
一一 生徒会会長と生徒会議協議会の構想
一二 社会主義国家大学
一三 残念な出来事
一四日本対抗への入党と政治活動への参加
一五 東京での受験勉強
第三章 立命館大学で極少数派から多数派へ、集落解放同盟との
一回生(昭和六四年) 学生運動の開始
一クラス代表を考える
二自転車置き場管理人をしながら
三人だけ一人で学生に大会「対案」を提案
四 様々なサークル活動
五第一〇回原水世界大会
六十六の勉強
七「日本の声」と京大学生党組織
八百万遍学生会館(インターカレッジ寮)入場館
九全学連再建大会に参加
一〇 インドネシア代表団の来日
一重労働で腰痛に
一二選
一三「四・一七ストライキ」のこと
二二回生(五年)基礎堅実な時期
一外書講読
二経済学会学生委員会
三アメリカのベトナム戦争反対と多様な文化活動
四暴力に屈しない姿勢を貫いて
五京都府会北区と京都市会移行区の補欠選挙での対抗の勝利
六三回生セミナーに参加
7 京都府学連復元大会
8 インドネシア9・30イベント
9 集落研立看板犯罪
三回生(一九六年)学生運動の新たな高揚期を迎えて
一新しいサークルの組織化
二生活協同組合活動
三ベトナム戦争と「文化大革命」
四自治会民主化の進歩と女子学生会
五ベトナム反戦と「不戦のつどい」
四四回生(陸軍六七年)
一全学指導部と柔軟な組織運営
二解が東上高志・馬原鉄男両講師、そして立命館を攻撃する
三同和行政を新たな段階と解同の分割
四 日本で最初の解同からの攻撃
五 一部学友会・生活協同組合の民主化
六 末川博知事名で解同に書簡
七 新たな初期の開始
八 末川博予測の責任
九 青年の仕事
一〇 学友会の民主化とかかわり二~三のこと
一一 米軍から研究資金提供、保障官問題
第四章 命を懸けた大学紛争の闘い
一厳しい生活
二 六八年秋の討論課題
三 全学協議会と学生
四 東大の新たな瞬間
五大学の改革か解体か
六 東大への全国的支援推進
七新聞社イベント
八東大の新たな瞬間
九立命館全共闘による中川会館封鎖と解除行動
一〇封鎖を求める一万人集会の成功
一一封鎖解除行動の失敗と逆流
一二大学限りの全共闘への屈服
一三知識人論とマスコミ
一四 大学の自治と教授会自治、全構成員自治
一五 大学紛争と新聞社事件
一六 防衛
一七 異常な暮らし
一八 存心館封鎖解除と機動隊攻撃、恒心館封鎖
永久暴力と人間性
二〇 京都民主勢力による支援・共闘二体制
二 春休み中学生大会で学園化要求を守る
二三 全共闘メンバーのレポート
二四 多様な民主的人材の学生出
二五 テロリスト化
二六 開講にあって自主講座の開催
二七全共闘によるわだつみ像破壊
二八全共闘の思想的かつ弁護論・免罪論に向けた
二九わだつみ像の復元と平和ミュージアムの覚悟
三〇小原君マラソンイベント
三一寮問題の解決
三二京大での暴力一掃の闘いと「名手事件」、その後の闘い
三三余話「二十歳の原点」
三四全共闘の決着
三五「暴力的闘い」の終焉
三六党建設
第五章 「日本の夜は京都から」を選んで闘った議員の専従職員時代
一議員の専従職員になった事情
二 千葉悠紀子との結婚
三悲を断念してとてもお嬢様が、豊かな生活を目指す
四学園から暴力を一掃し自由を取り戻すために
五灘井問題と係わって
六 執権論を巡って
七党勢拡大の「月間方式」についての再検討、入党の推奨についての考察
八知事選挙・衆参参加議員選挙
九悠紀子、甲状腺ガンに倒れる
一〇阪神淡路大震災
一一京都市長選挙で、木村万平さん、井上吉郎さんを候補者として闘って
一二地方議員選挙の後期戦で京都北部を担当して
一三私も勝った農村部での賛成と議員の活動と一例だけ
四山とスキーの世界一
五同和行政の見直し
一六政策は真理ではなく相対的選択である
一七市民対策部の活動は小さい学んだ
一八対抗、なぜ社会党や対抗は前進し、後退した途中
シェイクスピア、日本の古典
第六章 「社会人」として仕事的な妻の介護の両立をめざして
一 相対専従職員から「社会人」に
二段階の気分転換に妻・悠紀子とカナダとフランスに三つの
介護と仕事の両立を追求して
三 大学改革・国際協力事業
四 妻・悠紀の度重なる病
五 父と母の死
六 不幸の中での幸せ
七 残存能力を生かす努力
八 インド洋大津波災害復興支援事業
九立命館の混乱・変質
一〇 ヒマラヤ・トレッキング
一一 東日本大震災
一二 反核・平和を求めて
一三 二年に一度の出版パーティー
一四 新たな国際協力事業
一五 京都高齢者大学・北近畿社会人大学
一六 京都シネマ再生事業
一七 居住地での活動
一八 執筆活動
第二章 終わりの始まり
一「別れの時」
二終わりの始まり
三私の引っ越し
四 ベトナム研修に明けざる終
人生五を濃縮させた二〇二三年
あとがき
思いつき二中総での「秘密報告」について
【プロフィール】 鈴木元(すずきはじめ)
1944年8月8日生まれ。大阪府立住吉高校を経て立命館大学の一部(夜間部)経済学部を卒業。日本共産党京都北地区委員会常任委員・同府委員会常任委員などを務める。がわ出版編集長代理・立命館大学総長理事室長・大阪初学園副理事長・中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授などを歴任。
国際環境整備機構理事長、ペトナムオレンジ村支援日本委員会事務局長、日本ベトナム友好協会全国常任理事、京都高齢者大学幹事会副代表、モンゴル・ジェリーテル取締役、株式会社ハッピー・ペリタス顧問、かもがわ出版顧問。
『立命館の再生を願って』 正・続』(風濤社)、『京都市の同和行政を批判する』(部落問題研究所)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版) 、『志位和夫委員長への手紙』『さようなら志位和夫殿』(同)その他多数。
商品情報
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