ある日本共産党地区委員長の日記(一九七七年~一九八四年)
出版社からのお知らせ
民青、日本共産党の常任歴40年
1960年代から90年代を駆け抜けた
いま生きる 一つの精神の記録
【推薦】
文学的想定の世界にたゆたう雰囲気に包まれてつつも、旺盛な読書欲と確かな解釈力と分析力がマッチした、貴重な現代史の記録。
安齋育郎(立命館大学平和ミュージアム終身館長)
共産党の夢が輝いてた70年代から半世紀。著者たちの経験を今に生かさなければもったいない。
有田芳生(元参議院議員、ジャーナリスト)
【『ある日本共産党地区委員長の日記』の増刷にあたって】
二〇二四年八月二〇日 鈴木謙次
ふつう「自費出版本」というのは、出版社にこちらからお願いして出してもらい、友人・知人に配布したら、それで終わりです。広告もありません。
それに、八〇歳をすぎての「遺言」とはいえ、こんな露骨な表題では、まず一般の方は近づきもしない。受け取りを拒否された方もおられました。
また、大変正直な私の本音を書いていますから、党関係の方もかなり困惑し「なんと言うべきか」困ってしまったようです。そのせいか、送った方から「受け取りました」との返事だけでもくれた方も少数でした。この類の本の増刷とは大変珍しいことなのです。
しかし、日本の政治と日本共産党の役割について考えようとする人たち、虚心に丁寧に読んでくれた方からは共感が寄せられ、口コミで広がりました。そうして三ヶ月たって「売り切れ」となり八月には増刷に至ったのです。もちろん、出版界からみれば大海の一滴にも足りない少部数の本です。増刷によって、少なくない校正ミスを直せたこと、帯に推薦の言葉をもらえたことが安堵と喜びでした。
赤旗のスクープから始まった自民党の裏金問題の、その責任をとるという形で岸田首相が退陣を表明しました。このことは、日本共産党が、まだ国会では少数野党だが、政権を現実に担いうる資格のある責任政党であることをあらためて示しました。日本共産党みずから、党のあり方を含め、国民に開かれた政党であることをわかりやすく広く訴えてゆく絶好のチャンスです。
すべての人々にとって理想の、個の尊厳を基礎とした自由にあふれる共産主義社会は、この険しい道を乗り越えた、そのかなたに必ず開けてくるはずです。
その日本共産党を正面からテーマにして私の半生の経験を振り返ったこの本は、決して縁遠い、特殊な世界のことではなく、日本の現実政治にとって不可欠な、とても重要な問題提起であることを広く知ってもらいたいと思っています。増刷を機に、共産党にだけは近づきたくないという人も含めて一人でも多くの人に、この本を手にとってもらえたらと思っています。
この間のご協力にあらためて深く感謝申し上げるとともに、引き続き、お知り合いの方にこの本をご紹介して頂くことをこころからお願いします。
【目次】
一、民青専従から党県委員会へ―藤原問題と私―
二、ある日本共産党地区委員長の日記
㈠昭和七七年(昭和五二年)―仙南地区常任委員の時期―
㈡一九七七年一一月―仙南地区委員長に選ばれる―
㈢一九七八年(昭和五三年)
㈣一九七九年(昭和五四年)
㈤一九八〇年(昭和五五年)
㈥一九八一年
(昭和五六年) ㈦一九八二年(昭和五七年)~一九八三年(昭和五九年)
三、仙南地区から仙台地区へ(一九八四年~一九八七年)
四、地方出張所から党本部へ(一九八九年~二〇〇四年)
〈付録〉全国各地その後援会学習会の感想文
【著者略歴】 鈴木謙次(すずきけんじ)
1943年 東京品川に生まれる
1962年 香川県立高松高校卒業
1966年 東北大学文学部国史学科卒業瞬間民青専従となる
1969年 民青仙台地区委員長、民青宮城県委員長
1973年 日本共産党宮城県常任委員
1977年 日本共産党仙南地区委員長
1984年 日本共産党宮城県常任委員、仙台地区副委員長
1987年 日本共産党中央委員会・北海道東北地方出張所事務主任
1989年 日本共産党後援全国連絡会事務局長その後、中央委員会選挙対策局員
2004年退職現在無職長
『メールで交流した3・11』(本の泉社 2017年)
(俳号・聖木翔人)『70歳からの俳句と鑑賞』(本泉社 2021年)
商品情報
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